こんばんは。

今日は、京阪のびわこ号と新快速についてお送りします。両者共に運行終了から50周年と運転開始から50周年の節目と言う事もあり、大阪と大津との鉄道輸送の節目と言う事で今回取り上げることにしました。

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↑びわこ号塗装になった600形

びわこ号は、1934年4月に大阪の天満橋と三条(大橋)経由で浜大津とを結んでいた京阪の電車です。今では京阪本線と京津線とは完全に線路が分断され、京阪本線も大阪方では複々線となり、高頻度、高速度運転が行われていて直通運転をすることが出来なくなりました。びわこ号運行当時は、今みたいに京阪本線も高規格路線ではなく、京津線も三条まで地上線として走っていたので大阪と大津とが直通で結ばれるようになりました。

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↑四条の交差点を通過する大津方面のびわこ号。左には京都市電の四条線の姿が(画像は、wikipidiaより)

びわこ号は、直通運転できたといえども当時の京阪本線と京津線とで集電方式が違っていたので、集電方式の切り替えのため、三条大橋駅に停車していました。一日3往復運転され、竹生島への太湖汽船との接続列車として活躍しました。その後、太平洋戦争により、1940年に直通運転が一旦中止されました。

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↑かつては、碓氷峠並みの勾配区間で、三条~御陵間の地上区間廃止後しばらくは大量の廃車がいた九条山

終戦後、びわこ号3両は、大津線に転属し、1949年7月に再び大阪と大津とがびわこ号で結ばれるようになりました。直通運転が再開して暫くして四宮車庫にて火災が発生し、大量の車両を失いましたが、奇跡的にびわこ号の3両は被災を免れ、大津線の車両不足を補うために京津線、石山坂本線でも運転されました。そんなびわこ号の直通運転も1961年の枚方菊人形のための浜大津~枚方公園間の臨時列車の運転を最後に直通運転が終わりました。そして、9年後の1970年7月30日、びわこ号のお別れ式が行われ、びわこ号が引退、大阪と大津とを京阪で結んでいた時代も終わりを迎えました。引退後は、63号のみ錦織車庫に留置され、ひらかたパークでの展示を経て、現在は寝屋川車両工場にて大切に保存されています。2010年に大手民鉄の鉄道復活プロジェクトとしては珍しい?沿線自治体の寝屋川市が主体で復活プロジェクトが立ち上がり、2014年に入れ替え車牽引で構内を走行しました。

【時を同じくして新たな列車が関西に登場】
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↑かつて新快速に付いていたヘッドマーク

びわこ号の運転が終了した1970年、将来的に大津を含めた滋賀県に大きな経済効果をもたらした列車が関西で誕生しました。それが「新快速」です。当時は、京都~西明石間の運転で、滋賀県にはまだ来ていませんでした。翌年の1971年に運転区間が拡大され、草津まで延伸しました。これでようやく新快速が琵琶湖の東側まで延長され、びわこ号で結んでいた大阪と大津とが新快速で結ばれ、琵琶湖東側の人達が気軽に大阪へ行くことが出来るようになりました。

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↑湖西線を走る新快速

その後、1974年に新快速は湖西線での運行も開始しました。これで坂本や大津京といった琵琶湖西側のエリアから新快速で気軽に大阪に行けるようになりました。びわこ号の起点の浜大津からでも皇子山(現京阪大津京)乗り換えでびわこ号時代よりも早く大阪に向かうことが出来るようになりました。

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↑最新の225系100番台による敦賀行きの湖西線経由の新快速

その後、新快速は徐々に区間が延長され、現在では滋賀県だけではなく、北は福井の敦賀、西は播州赤穂、上郡まで延長されました。滋賀県では琵琶湖東側においては、2011年3月のダイヤ改正より南草津に新快速が停車し、大津や草津を抜いて滋賀県でも乗降客数1位となり、南草津周辺は人気で、街も発展していきました。
このように新快速は、びわこ号が亡き今、大阪と大津とを結ぶ重要な役割を担うことになりました。そして、滋賀県の経済効果にも影響し、大津と大阪とが気軽に移動することが出来るようになりました。

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↑びわこ号塗装は、4年間運行予定

かつては、京阪電車の特急「びわこ」号にて結ばれていた大阪と大津、そして、琵琶湖地域。びわこ号時代は琵琶湖汽船航路へのアクセスとして、今は新快速によって通勤、通学、行楽に気軽に行けるようになり、近くなりました。これからも鉄道と共に琵琶湖地域が発展していくことでしょう。

↓↓びわこ号運転終了50周年記念でかつてびわこ号が走った道のりを旅してきました。京阪の廃線区間も少しだけ紹介しています。↓↓